蝉休の雑文日記

色々なことを書いていこうと思います。

ショートエッセイ 甲子園の土

例年よりも涼しいかと思われた今年の夏は、8月の手前で「お待たせ〜」とでも言うかのように暑くなり、ここ数日は35度超えを連発している。別にこっちは待ってはいない。

 

とは言うものの僕としては暑いのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。幼い頃から冬よりも夏の方が好きだった。いわゆる夏の風物詩と呼ばれる物と触れ合っていると、どこか懐かしいような感覚に包まれる。そんな感傷に浸りながら、僕の一日は暮れていく。

 

夏祭り、スイカにカキ氷、蝉の声。様々な夏の風物詩により僕は感傷の中に引っ張り込まれてゆくわけだが、その中でも僕に対して特に強い引力を発揮する風物詩がある。

甲子園だ。

 

僕自身高校時代までは野球に熱中した野球少年だったのもあり、甲子園は毎年ワクワクしながらチェックしている。しかしお茶の間でテレビの向こうの球児の挙動を観察しながら、僕にはどうしても気にせずにはいられない箇所がある。

–甲子園の土–。

野球をやっていた人ならば、甲子園で敗けたチームは甲子園の土を持って帰るという慣習があることを知っているだろう。そしてその慣習にどういった意味があるのかに考えを巡らせたことがあるはずだ。むしろ野球を知らない人ほど、試合後に選手達がベンチ前にしゃがみ込み、両手でかき集めた土を袋へと詰め込む姿はより奇妙に映るのではないか。

持ち帰ってどうする?

これを考え始めるともう試合どころではない。贔屓の高校の勝敗よりも、選手の足元にある広がる黒色の土の行方が気になって仕方がない。

 

熾烈を極める地方大会を勝ち抜いた選手達が、記念として甲子園の土を持ち帰るというのはわかる。もし僕が甲子園に出場できたなら、特に何も考えずに土を持ち帰って来るだろう。しかしそこは少し考えてみてほしい。記念ならば別に土じゃなくていい気がしてこないだろうか。というかろくに考えなくても、記念品としてよりによって土を持ち帰るなんて相当変わり者だ。インド旅行に行った友人がお土産にガンジス川の河原の土を持って来たらびっくりだ。インスタントカメラで撮った写真の方が、いくらかマシな記念品になると思われる。

 

しかし未だに甲子園の土は持ち帰り続けられている。こんなことを書くと全国の球児達に怒られてしまいそうだが、あの土には価値があるのだろうか。

甲子園の土といっても、元を辿って行けば鳥取の土と岡山の土と何処だかの土と何処だかの土を混ぜ合わせたものだ。詳しくは覚えていない。だが頑張れば自分で甲子園の土を作ることも可能である。

そんな色んな土をブレンドしたものが、甲子園球場には撒かれている。それを球児達が持ち帰り、その上にはまた新しい土が撒かれる。

表面の土は入れ替わりが激しいので、スコップで30㎝掘ったところの古い土を持ち帰れば、厳重注意と引き換えにより高い価値がその土には付く。だろうか。

 

こんなことを考えている間にも、液晶の向こうでは試合終了のサイレンが鳴り響く。